さいきんの曲
https://soundcloud.app.goo.gl/HrMifqsdhv2syFUk7
例の曲メモを作っていたら思いついた中編を、徒然なるままに録音してネットに放り投げた。
よかったら聞いて。
以下、歌詞
東の荒野に朝焼けを見た
流浪人の男が一振りを構え
雪の上に赤よ散り、主の御元へ送る
罪と人の世とどっちが先にある
荒磯に浮かぶのは神様の死体で
喰えば不死の命を得らるるとて群がる
パライソの奇蹟はもうこの国には要らない
もう一杯お腹には入らない
ゆえに地上に人はなし
空に問うても応えない
西の聖者に徴なし
僕らの今に答えはない
永遠の書き出し少年
突然だが、僕は一時期小説家になりたいと熱望した時期がある。
まあ誰しもそう行った流行病にも似た痛々しい夢を罹患してしまうことがあるとは思う。で、その顛末はどうだったかといえば、あいも変わらずにアマチュアバンドマンを続ける日々である。生み出したのは、起承転結の承にも辿り着かなかった書き出しの山だ。書き出しだけを集めて一〇〇万字いくんじゃないかとも思う。
もちろんそんなものに意味はないし、一円にもなりはしない。
それでも文章を書いているうちはとても楽しいものだ。なんなら、小説を書く楽しみは書き出しだけで八割あるんじゃないかとさえ思ってしまう。
形になりきらない、予感だけのものがどれほど楽しく、時に美しいものか。
音楽でもそういうことをやってみたいと思った。
善は急げで、まずフォーマットを決めて定期的に出力できるものにしようとした。
五秒考えた末に32小節、大体4小節でコード一回しとして、8回し分。曲の展開ひとつ分くらいが当てはまる長さに決めた。
架空の曲の断片、或いはイントロということで、色々想像したりして楽しんでほしい。最初はまあこんな感じだけど、だんだん上手になっていきたい。で、時々会心の一本が出せればいいかな、と思っている。
一応、他にも理由はあって、ガジェット好きだからたくさん買い込んだエフェクターや機材、改造したギターなどを年一のライブだけ使うってのは勿体無いなと思い、どうにかアウトプットするものを用意したかったのだ。
あとは、僕のやる音楽に少しでも興味を持ってくれたらと思う。この肩の力の抜けたものを通じて、自分のやってるバンドに、である。
今やっているバンドは以下。
・海の温度 (リモート活動)
・Galatea2.0 (札幌でライブ)
・屈辱と春 (札幌・旭川でライブ予定)
ちなみに、計画名というか、活動名のLexicon Tasksは今朝夢の中で思いついた。意外と気に入っている。
soundcloud.com
レコをした
この前入手したギターアンプでレコーディングしてみた。
Blues cubeをスタジオで鳴らすのは二回目だった。このギターアンプはつまみによって0.5, 5, 15, 30のW数を選択できるという特徴があり、自宅とスタジオなど、場面によって出力のモードを切り替えることができて便利である反面、出力が変わればもちろん出音は変わるという問題があり、今回はその点に悩まされた。5から30Wの間は単純に音量が6倍されるだけ、などというものではなく、複雑な真空管アンプの振る舞いを模していると謳うだけあって、実に変化に富んでいる。出力を変えると、ヘッドルームの大きさとレスポンスのコンプ感が主に変わり、それに伴って中音域の膨らみと最低音域のコシが変動する。
難しい、というのが鳴らしてみた感想である。
ポイントはマスターボリュームの値だった。これが最大に近付くほど音が飽和し、唸りにも似た迫力ある低音が駆動する。ならば、出力を下げ、マスターボリュームを上げたほうが良いと判断し、今回は5Wで動かすことにした。レコーディングは静的な音楽活動である。試行回数を積んだ録音データを修正・変更していく過程を経るものであるため、ギター単体で聴いて感覚的に良いと思った音のままで集音を進めることにした。スタジオでのバンド練習・ライブの場面ではこうはいかないだろう、という不安があるものの、それはまた別に練習すべきだろう。
マイクはe906と57をそれぞれ立ててみたのだが、音はe906のほうが高音域の解像度とミドルやローミッドのフラット感が良い印象だった。ローエンドもなかなか撮れている。以前のレコーディングでは試しにbeta57を立てていたのだが、そちらはあまり思わしい音が撮れなかったため、評判の良いe906を購入したという経緯があり、目的は確かに果たされたようで満足している。ただ、マイクを二本立てて、ミックスで双方のキャラクタを混ぜたりしよう、と画策していたのだが、どうもうまくいかなかった。この辺り、実際はどういうミックスをしているのだろう。レコはまだ終わらない。
ウィー・アー・オーバードライブド
機材の話
またまたボード改変。
小さなボードの中によくもこれだけ収めたと、自分でも思う。
接続順は以下の通り。
studio daydream の4inジャンクション・バッファ付き
polytune3 チューナー
プレーンブレッド コンプ
walrus audio warhorn オーバードライブ
catalinbread ファズ
walrus audio voyager ブースター
chase bliss audio EQ
chase bliss audio ディレイ
最近、僕はGalatea2.0というバンドでギターボーカルをしている。昨年は秋以降活動ができていなかったのだが、活動拠点となっている札幌では情勢も落ち着いてきたところでスタジオへと繰り出したのだった。
自宅での練習用に組んだボードを実際にバンド演奏時に使用するとなれば、やはり問題は出てくる。前回のボードの問題は、エフェクターを踏みにくいという、根本的なものだった。
今回は配線と配置を変え、ブースターを踏みやすいところに置いた。多分、それなりに改善されていることだろう。
また、blues cube hot el84 modについてもスタジオ使用を試みた。
一月末にギターレコーディングをする状況があり、せっかくだからと12inch一発のギターアンプを担いで行ったのだった。
レコを行う対象は曲調の異なる二曲だった。一方は怪しげなクリーンポップロック、もう一方はハードコア風のかなり歪んだ重たい曲。
結論を言えば、前者は成功、後者は失敗に終わった。
その失敗の理由は集音用マイクにあると思っている。sm57、beta57を立てて録音したのだが、歪みのハイの部分とローミッドが上手く撮れなかった。アンプの設定を見直し、キャラクタの違うマイクを用意して再度試してみたい。
今考えているのは、バランスよく撮れる低価格帯のe906。YouTubeのギターアンプ試奏動画などでは大抵これがスピーカーの前にぶら下がっていることが多く、気になっている。
ちなみに、アンプとしての出音は、めちゃ良かった。
その他の話。
最近は歌詞をガリガリ書いていこうと思っている。インプットはまだまだ続けているが、アウトプットに波があるのが自分の難点であり、久々に筆を走らせようとすると、まずは言葉の感覚を取り戻すところから始まるのだから、継続的になにか書き続けるということが必要なのだろう。
と、言うわけでちらちらと小説を書いている。
面白みもないが、人に見せることを考えなければ日記感覚で続けていけるようなものだ。ストーリーは、北へ向かう三人の旅人をメインに、旅を通じてつらつらと思考をまとめていくような、森博嗣のヴォイド・シェイパに触発されたような内容である。
人は、自分だけに読ませるための長い一編の小説をシコシコ書き綴るべきではないか、と最近は思っている。
そんな折に、Galatea2.0のバンドメンバー、ドラムのM君が小説家になって稼ぎたいなどと言っていたので、これ幸いと執筆をするよう嗾けてみようと思った。
そんな感じで一月が終わった。
スモール・シティ
小さいエフェクターボードを作りました。
A地点からB地点まで進む道のりを即ち時間、あるいは歴史であるというのなら、写真家とはその中間地点のある一瞬を切り取る仕事だとは今しがた読み終わった小説に書いてあった言葉だが、まさしくある一端から別の一端へという点においてはギターシステムも類似した形をしていると考えはじめたのが半年前のこと、すかさず読み齧っただけの都市論を持ち出しては機材と街の機能的相似形について空想し、ついには一つの巨大都市の幻影を生み出した。
ここで生まれた都市というのはエフェクターボードそのもののことなのだが、そう言い張るにはいくつか理由がある。まず、エフェクター一つ一つには機能性があること。と、いうよりは形状化された機能がエフェクターなので、あるいはこれ一つが一メソッド、一オブジェクトとなる。オブジェクト間の相互機能という点で、これはおおきなプログラムでありながら、その一要素ごとに異なる名前と性質と〈個性〉を持っている。でありながら、ギターサウンドは交流電圧として、ギターからアンプへただ単純にゆっくりと前進し続ける流れなのではなく、知覚不可能なオーダーでの低遅延な信号のやりとりであるので、出口と入口はまさしく接続されている。そういうようなぐるぐる巻きの都市構造を我々は古くから、知っているような気がしている。その名は、迷宮という。メイズ、ではなくラビリンス、クレタ式である。なお、分岐を加味すれば迷宮性から都市性へ性質が移り変わり、プログラマブルスイッチャーを導入しようものならば、エフェクターの順番・配置における必然性が希薄となり、レム・コールハースのいう無機質なタイリングされた近代都市構造ジェネリック・シティに近しいものとなるところが面白い。
と思っていたのだが、思弁的エフェクターボードはその文学創作活動における使い勝手の良さと反するようにして——
スタジオに持ち運び難い。
当たり前です。
要塞エフェクターボードといえば、でかい&重いハードケースでキャリーでがらがら引き摺りながらスタジオインする様子をバンド仲間の姿に見ていて知っていたので、僕がボードを作るならスタイリッシュなすのこボードに、軽いソフトケースで肩掛けして運ぼうと楽観視していた。
目をつけたのは、Palmer Pedalbay 60。ペダルトレインの後続類似品、最初からマジックテープが底面に貼ってあり、裏側には中程度の大きさのパワーサプライを括り付ける場所がある*1。ボードの耐久性、使用感、ともに問題なく、初めはその大きさに圧倒されたものの徐々に馴染みかけてきたところでスタジオに持っていこうとした。
ペダルベイ、ボード自体については軽い。エフェクターを乗せると当たり前だがずっしりとくる。配線が裏に通せるのでペダル同士をくっつけることができるため、調子に乗った僕はもう乗せまくりにしてしまった。乗車率120%。超・密です。
問題点は主に三つ。
一、チルト(傾斜)したすのこボードは扱い難い。
難しいです。たしかに、奥のペダルを踏む際に足を伸ばさなくてもいいという効果を出すためですが、運搬の際には重力バランスがとても悪くなります。特にソフトケースだし、肩掛けしたところでケースごとボードの表側に倒れていく。キャリーに乗せても、ソフトケースには保持力もないし、中のペダルを押し付けて支える力もないので縦にすると崩れやすい。
ペダルベイの裏側が軽いせいかも。角に足一本ずつで支えているので、高さを調節できるのが可能な対処法か。でも裏にパワーサプライ置いてるし、チルト下げすぎるとパワーサプライの筐体が床にぶつかる。
ペダルトレインだと大丈夫とか、あるかな?
ともあれ、チルトしてるボードは重量バランスに気をつけていただきたい。
少なくともエフェクターボード初心者は平なものを選ぶ方が絶対にいい。
二、ソフトケースが重い。
重いです。ボードが1キログラム超くらいで、ケース(硬めのカバン)が3キログラム以上ある。30×60の同サイズならもっと軽いハードケースはあるだろう(まあ質はともかくとしても)。
ソフトケース付きペダルボードは、ハードケースのものに比べて軽いかと思いきや、ガワとナカが分かれていることで意外と重い。たしかに、ペダルトレインの方はハードケースとなるとツアー用のガチガチに重いやつしか見たことないし、すのこ自体を支えるためにそれなりの強度が必要なのだろう。
三、見た目がしっくりこない。
ボードは街みたいだな、と思った。エフェクターは建物なら、パッチケーブルは道だ。そう思ってみると、配線が絡み合ったボードはバランスが良く、カッコいい。
ケーブルを裏に隠せるということは、その面白みが消えてしまうのだ。チルトがあるので裏にケーブルを回す方が重量バランスも良いのでそうするべきだけど。
そんなふうに考えながら、ついにボードをハードケースに作り直そう、と決めた。
で作った。
これは配線が汚い部類に入るとは思いますが、流石に途中です。
ARIA EBC-600。
21×37のボードにメイン機材を詰め込み、基本はこれ一つで事足りるようにしたいと思いながら、このごちゃごちゃ感が安心する。
アリアのボードは白黒の外装が洒落っ気を感じさせながら、上蓋にウレタン付き、肩掛け紐用フックとベルト付きと、かなり実用性が高い。
内張のマジックテープは剥がれやすいので、配置を設定したら無闇に動かさないのが吉だが、いっそ剥がして別に貼り直すのも良い。
エフェクターボード作るならまずハードケースから。ということです。
今週末はスタジオなので、運搬が簡単になっていることを実感できる予定。
*1:付属のゴムで固定する方式。意外としっかりしている
G.A.S
最近はギターが楽しいので、機材とかの話します。
ジャガーを買ったのは去年の九月ギョッコードー。fender made in japan hybrid 60’sシリーズという、つくりは日本製でピックアップだけ現行アメプロと同じものを使用したモデル。
いかしたギターを迎え入れたからには、それを活かさねばならぬと思い、奮起してスタジオへと担いでいった。Galatea2.0というオリジナルバンドのスタジオであった。持って行ったのはギターだけである。そして使うアンプはjc-120だった。
当方、ギターに関してはズブの素人なわけで、そんな奴がjc-120アン直したところでロックバンドなんか出来るわけなく。
しょうがないのでリードのムラマツ氏にEHX soul foodを借りてじゃかじゃかとやったのだった。
よく分からないが、金属音が鳴った。
ナンバガみたいな音だと思った。
soul foodはケンタ系の中でもざらっとしたファズ感が強いのだという。そういう毛羽だった歪みとジャガーのモダンPUのパワーが合わさってなんかカチッカチの音が出ただけ。でもそれがとても楽しかったので、それ以後はエフェクター集めに走ることとなる。
ちなみに、良い気持ちでジャキジャキとリフを弾いたら、他のメンバーは辟易していた。すまん。
まずは一通りの機材を集めねばなるまい。
とりあえず目標のギターサウンドを決めよう、という話になり、それは当然キャブス國光氏になる。
キャブス國光氏は、アンシュルスのライブ映像ではMarshallを使っていた。だが、某所の機材ブログ等を見ると、どうもVOX ac30なるギターアンプを使っているらしい。
向井秀徳も同じアンプをメインに使っている。
ならばと近所のスタジオへと行ってac30を使ってみた。
そのようにしてアンプの目標は決まった。
ケンタ系ペダル+ac30系アンプというサウンドメイクをしたいという漠然とした目標を抱えて機材集めを始める。
途中、空間系ペダルへとどハマりしそうになったり、トランスペアレント系ODを漁ったり、友達からエフェクターを頂いたりと紆余曲折あったものの、ケンタ風のWalrus audioのvoyagerと、VOXのnutube ac30系プリアンプを入手したので、ともあれこれでいくこととなった。
いや、でけえよ。
スノコ系ボード&ソフトケースはとても良いと思ったのだが、思ったよりでかいし、調子に乗って乗せまくったらめちゃくちゃ重いし、ボード作成初心者丸出しである。
と、いうわけで、ボードをメインとサブに分けようと画策中。
ARIAの小さめのハードケースが安く売ってたのでこちらにコアシステムを詰め込もうと思う。メインのブースターとディレイとファズだけ詰めれば御の字で、他はサブボードに。二つに分ければ、両方持っていくにも可搬性に優れていて、便利だろう。
さて、VOXのプリアンプがあるのでジャズコでいいや、と思ってスタジオインし、頭を捻りながら弄ること数時間。
歪み感はとても良い感じなのだが、レスポンスというか、音の芯の感触や、音量を上げた時の音圧がどうにも本物のac30には至らない。
なら本物を使えば良いのだが、ac30が置いてあるスタジオは札幌で二つ、しかもライブハウスには無い。ライブハウスにないものを使って練習するのはどうなのだろう、と僕はベースの音作りで悩んだ経験からそう考えてしまうのだった。
アンプを探そう、と思ったのである。
ベース弾きだった時には、世のアマチュアベーシストが大抵そうであるように、僕もアンプに悩まされた。
基本的に、ベースアンプというのは二つだ。アンペグか、それ以外かである。
アンペグはたいそう素直なベーアンながら、たまにとんでも無くへたっているものがあったり、平凡すぎて個性がなかったり(出音は間違いなく最高ではある、念の為)と困ることがよくある。
で、アンペグ以外のベーアンに至っては基本扱いが難しい。ギターを弾き始めてからとてもよくわかるが、アンプが違えば、それはもう別の楽器である。ハートキーや、アコースティック、トレース、年季の入った謎のベーアンたち。ソリッドステートの安定したアンペグで育ったものからすれば、そこは異国の地。毎度スタジオに入って音作りしては裏切られ、試行錯誤し、でもライブハウスではアンペグ直結爆音が一番最高だったりすると、もうどうしようも無い。
ギターを本格的に習得しようと思い立ってから、そのような不自由しないセットアップを作成することが一番の望みだった。
誰にも負けない最高の音が出せる、とまでは望まないが、音像を常に自分の制御下に置きたいと思う。
家での音、スタジオの音、ライブハウスの音、を全て同じキャラクターにするには、アンプを買うほかはないだろうと思った。
ベーアンも今となっては小さいヘッドがいくつも出てるので、プリアンプではなくアンプヘッドを買うのも手だなと思う。トレースエリオットのELFとか。
ギターアンプも小型ヘッドがいい感じという噂を聞いた僕は、在宅仕事の合間を縫ってネットサーフィンするわけだが、どうにもしっくりくるものはなかった。VOXのMV50シリーズくらいかな。でも前の投稿でも書いたけど、VOXのacシリーズ以外のアンプデザインは微妙だなーとか思って敬遠した。流通はあり、安いので、そのうち買うかもしれない。
https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/233926/
他のヘッドの選択肢としては、yamaha thr100hなどがあった。モデリング系のソリッドステートアンプ。出音が良さそうだったけど、問題は少し古めだという点。しかもfx loopやブースターのオンオフに専用フットスイッチ(でかい)が必要。さらに、PCでの設定やファームウェアアップデート機能があるが、これは全然アップデートされずに五年経っている。
モデリング系でも良いが、PCやスマホアプリとの連動はせいぜい保って向こう五年程度のものだろう。2025年にはスマホが必要かどうか怪しいところだ。
(余談)
アナログ信仰ではないけど、ハードウェアの信頼性はスタンドアロンにあると思う。ハードウェア同士の依存が過ぎれば拡張性は減る。しかも、外部の操作インターフェースを必要とするデバイスって、楽器としてどうなの、と思ったりもしなくはない。必要とするのなら、向こう百年は持つであろう接続端末を用意していただきたい。フォン端子*1みたいな。
で、この先はスピーカーの話も考え始めるのだけど、また今度。
ギターアンプ入手・レビュー roland / blues cube hot British EL84 Modified review
中古のギターアンプを買った。
roland blues cube。
blues cubeはフェンダーツイードアンプのレスポンスを、ソリッドステートで再現したというアンプ。数十年前にその名を冠するアンプが発売され、2015年に中身を一新してアップデート・新シリーズとして再発売となった。これは、その再発売版のほう。
再発シリーズの新要素としての目玉が、専用カートリッジ*1を適用することでアンプのレスポンスを変更できるという機能である。fender bassmanと同じく6L6真空管のレスポンスを再現したストックモードから、6V6、KT66、EL84など、アイコニックなアンプのサウンドを出せるように内部アルゴリズムを設定可能となっている。
で、今回買ったのはカートリッジ変更できない30Wのhotモデルで、工場出荷時点からEL84真空管を用いたクラスAブリティッシュ・コンボ・アンプのレスポンスを再現したモードが適用されている。
要は、VOXのACシリーズアンプということ。ac15なのかac30なのかは明記されてないけど、まあその辺だ。
見た目は、黒トーレックスと白黒グリルクロスでシックな雰囲気。
スピーカーは12インチ一発、部屋に置くと意外にも大きいと思ったが、12キログラムと持ちやすい重さで、マグナカートも買ったし頑張れば持ち出せる。
シンプルだけどカッコ良いです。
これを買うまでに、本家VOXから出てるCambridge 50 12インチモデリングアンプが対抗馬として上がったのだけど、あっちはシンプルかつ無個性すぎて好みではなかった。せっかくVOX買うなら、まさしく正統派ブリティッシュ・コンボの見た目がいいよね。
と、ここまで見た目の話だけなのですが、残念ながら音出しはまだなので音質についてはいえないのだった。
ギターアンプってエイジング必要なの? とりあえずシーラカンス行って爆音で鳴らしてみようかなー。
屈辱と春のレコもあるので、このアンプで録ってみてもいいかもしれない。
ちなみに、このアンプは生産完了なので出回ってませんでした。数ヶ月に一度オークションサイトに出るかも、といった感じ。
中古品ですが、入手できたので嬉しい。安かったし。これでギター機材の旅は完了。次は集音用マイクかな・・・。
13/8拍子と残響音
吾輩はバンドマンである。CDはいくつかあるが流通は(まだ?)ない。
大学時代は軽音楽部に入り浸った阿呆学生であり、それ以後もまだ音楽を手慰みにしては身内のライブへ顔を出し、といった具合に二十代の青い春は通り過ぎていった。
いわゆるアマチュアミュージシャンの端くれで、自主制作CDを二枚三枚くらい作っては音楽仲間に押し付けたり、懇意のリハスタジオに置かせてもらったり(そうして数年間、埃を被ったままカウンターに放置されることとなる)、またはしこしこ音源を制作してはネットに投稿するなどしていた。
さて、以下は近況のまとめと、ありきたりながら今年の抱負である。
活動した主なバンド
全て札幌界隈で活動したりしてました。どれも無名バンドだろうが、忘れられゆく名前をネットに書き込んでおくことは意外にも重要であることのように思える。
nicola[ニコラ]
soundcloud.app.goo.gl
二十歳になるくらいに組んだバンド。ベースと歌をやった。暇な大学生が抱える日々の憂鬱とか、暗い夜をやり過ごすためのいくつかの技法についての話。
その頃からthe cabsにクレイジーしてた僕は同じような趣味を持つ同期のギターエフェクター怪人を捕まえてバンドの企てをはじめた。後輩の時雨好きドラマーを共犯者に仕立て上げ、スリーピースバンドはそうして駆動し始めることになった。
行ったライブはだいたいアレな感じだったが、定山渓の謎ホテルで謎ライブをしたり、スピリチュアルラウンジで自主企画したり、サークル行きつけのライブハウスを爆音で出禁になったりと、最初のオリジナルだけにそれなりの思い出がある。
このバンドで作曲した絶滅という曲はサビが13/8の変拍子だったりと、色々と凝っていた。これ以降、やる曲は変拍子と残響系ポストロックの重力圏から離れられなくなっていく。
timestops[タイムストップス]
soundcloud.app.goo.gl
上記のニコラをやってる頃、競い合うようにライブをしていたバンドが一つあり、そこのギターボーカルのムラマツと別のオリジナルバンドをやろうぜ、という話がでた。リードの爽やかな奇人ニッタ君を引き入れ、後輩のモリモトを半ば強制的にドラムとしてバンドへと引き込んで組んだのがtimestops。
nicolaの時にはthe cabsくらいしかバンドを知らなかった僕が、エモ・ポストロックバンドを掘り下げて多くの素晴らしいバンドに出会ったのと時を同じくして、一つ下の学年だったムラマツと意気投合し、かくしてポストロックの金字塔たるバンドの美しい楽曲の名前がここに与えられた。
色々ライブをやった中で、割と普通のロックができたな、という印象がある。とにかく勢いと、程よい自由さがこのバンドの特徴で、個々人のプレイが一曲のイメージと重なり合い、結合した懐の広い音楽空間があった。
海の温度[うみのおんど]
soundcloud.app.goo.gl
nicolaのエフェクター怪人コダイラ君と、同期のギタリスト・ドラマーを加えた四人バンド。シューゲみたいな音像の曲がメイン(?)。和製シューゲイザーの潮流を汲みながら、Syrup16gやUremaのようなベースを弾きたいと思っている。とは言いつつ、バンドイメージとしての共通解はPeople in the boxだったりするかもしれない。
最近のバンドラインは近況報告と半同窓会的になっているよう。
屈辱と春[くつじょくとはる]
音源はまだなし。
軽音サークルのY先輩と最近組んだバンド。このバンドから僕はギターで参戦を始めた。色々方向性を模索しつつ、近頃はようやく軌道に乗ってきた感じ。ドラムのソウイチロウ氏がマジで詩人的感性の持ち主なので是非ライブをしたい。
ブッチャーズみたいなサウンドで町田康みたいなことをやりたいね、みたいな方向性だったと思う。なんだそれは。キマったら最高だろう。
Galatea2.0[ガラテアニーテンゼロ]
timestopsのニッタ君が遠くに就職していった後、札幌に残ったメンバーが集まってスタジオ入ろうぜ、ということになった。
その際、メンバーが足りないのでどっかから駆り出してこようという流れになり、白羽の矢が立ったのはサークルのさらに後輩のベーシスト・シンジ君。足りないメンツは後輩の中から無理矢理引っ張ってくるものであるという謎の伝統芸能。というわけで、僕はベースからギタボへと役割を変え、新規バンドとして活動し始めた。
ポストコロナ時代のインディーバンド最前線へ一番乗り決めたいね。
これから
今年度から僕はようやっと大学から脱出し、社会人となったことにより、趣味に充てる資金が増えた。おかげでガラテアが動き出した秋頃から、ギター機材が充実していっている。
なんか機材レビューとか、音楽の話とか、バンドのモチーフである小説の話とか、色々書き残しておきたいと思う。
これを見る者が幸いでありますように。
ここはthe cabsとmice paradeとAmerican footballとradioheadと、リチャード・パワーズと円城塔と山尾悠子とPKDと、教会とギリシャ神話と一九世紀末芸術と地球惑星科学をそれら全てひっくるめてつらつらと語ったりする、この世で唯一の場所であるかもしれない。
ではまた。
ブログ開設と第ゼロ号(Numero zero)
挨拶
こんにちは。
ブログを開設しました。今度から、雑記類や長めの寝言はここに置いておこうと思います。
話題に関しては、音楽のことや小説のこと、それから、最近始めたというプログラミングのことをつらつらと連ねていこうと思います。
元々、とっ散らかった頭の中はついったに吐出してはいたのですが、140文字では意味の有る文章を書けそうに無いとき、それなりに一貫した文章として出力する場所が欲しいなあと思っていました。
価値の有ることはかけそうにありません。ここはがらくた置き場になる予定です。ぼくらは、忘れるために、吐き出すのだ。
作者について
春から新米エンジニアのIT戦士、自然科学畑の出身。昔、アマチュアバンドをやっていた。興奮すると早口になるオタク。
余談
以下、余ったので本の話でもします。
記念すべき(?)最初の投稿ということで、ウンベルト・エーコのヌメロ・ゼロという本が面白かったという話でも。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309464831/
ウンベルト・エーコはイタリアの大作家。「薔薇の名前」なんかは有名で、海外文学にうとい人も聞いたことがあるかもしれない。
「ヌメロ・ゼロ」は大まかに言えばサスペンスだ。始まりはこう。とあるゴーストライターの青年がある日怪しげな人物に、これまた怪しげな仕事を依頼される。
「そうです。あるジャーナリストの回想。決して出ることのない日刊紙の準備にかけた一年間を語る本です。日刊紙の名前は『ドマーニ(明日)』」
存在しない雑誌の創刊準備号——ゼロ号(Numero zero)をめぐる物語はジャーナリズムと陰謀論の取っ組み合いの上で転がり続け、世界の不確実性の闇へとフルスロットルで突っ込んでいく。
エーコ最後の長編ということで、これは大作家が長年培ってきた技量の結晶だ。可読性と分量と面白さが奇跡的な配合となっている。かつて海外小説ビギナーだったぼくもスラスラと読むことができて、ちょっとコアな本を知っている感があり、こういうところで紹介もしやすく、大変お世話になっている。
河出文庫から2018年11月に文庫化されている。この不確かな情勢の中で、今だからこそ確かに読む意味がある本の一つだと思う。
以上。